小説 op.5-01《その色彩》…墓標と、序章



これは、全体の序曲になるものです。


作品全体は、20世紀の音楽家アルフレート・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke, 1934.11.24-1998.08.03)の、《弦楽四重奏曲第二番》がモティーフになっています。

ずっとまえ、大学生の頃に、初めて聞いたとき、この曲の戦慄的なまでの美しさに、うちのめされてしまったのでした。


これは、ベトナムに住んでいるある人物の、一瞬の心象風景を描いた、いわば、《私小説》的な短編になっています。

小説全体は、結構、退廃的と言うか、破壊的な人物がさまざまな動きをしていく、かなり激しい小説になります。この作品では、まだ、そんな雰囲気はありません。

あくまでも、こまかなモノローグです。


小説全体のタイトルは、差し当たって、《シュニトケ、その色彩》と、呼んでおくことにします。

差し当たって、というのは、まだ、完成していないからです。


実は、途中までで書くのをやめていたのですが、最近、やっと終わりが見えてきたので、また、書き始めました。もっとも、また、書きやめてしまうかもしれません。

実際には、途中で終わってしまうほうが似合っているのかな、という気もしないでもないのですが。かならずしも作品として《完成》させる必然性もない小説なのかも知れません。


小説って、作品として完結する必然性に貧しいジャンルだと想うんですよね。

また、個人的には、何らかの事情で、途中で放棄されてしまったり、未完成に終わった小説のほうが、好きだったりもします。

プルーストの《失われた時を求めて》も、《見いだされた時》が書かれないで、未完成のままに終わってしまっていたら、どんなに美しいだろうと想うのです。


いつものように、いくつかの短編・中篇が連鎖する連作のかたちをとっています。

それぞれの作品は、一応、それぞれに完結しています。ですから、独立して読めるようになっています。

なにか、読んでくださる人に、想ってもいなかった風景を見せる事ができたなら、とても嬉しいのですが…


2018.06.06 Seno-Le Ma








その色彩








振り向いた私に Đỗ Thị Trang ドー・ティ・チャン は何か言って笑いかけたが、聞き取れなかった。その長い、ひっつめられた髪の毛の向こうに空が見える。

亜熱帯から熱帯へと細長く渡るベトナムの、その中部の町、ダナン市の、観光都市の海沿いの道路を隔てた向こうに海が見えたが、東の空の地表近くに浮かんだ月は不意に見いだされ、韓国人たちはタクシーを待った。バイクの、車の、それらの細かな音響が耳の中に反響しているのを、ベトナム人の Trang のいまだに幼さを残した横顔がゆがんで、彼女は微笑んでいた。亜熱帯の日差しは午後の遅い時間にあって執拗に肌を焼き、…もう?と、思った。もう、月が、それは空の青さの中に霞む白さを曝し、浮かぶ。月そのもの残像のようにしか見えない。遠い反射光にしか過ぎないはずのそれの、とはいえ、例えば宇宙空間に浮かんで、その至近距離でそれを見いだしたとしても、それが同じ反射光に過ぎないには違いない。







でたらめに大きく垂れ下がったピアスとイヤリングが並んで、褐色の Trang の耳たぶの先で揺れた。大きすぎる Trang の、顔の真ん中を占領してしまった二つの目が、潤いを含んで時に私を見詰め返し、黒目が無意味に震えて、午後の海岸をいくらかの白人たちと、大量の韓国人たちが闊歩し、彼らの自分勝手な流儀で余暇を楽しんでいた。

Trang の腕の中で私たちの赤ん坊がもがいて見せた後、その眼差しの上空に見いだされた何かに、半開きの何も言わない唇を動かして、すこしだけ、Trang の眼差しは私を見て微笑んだ。その遺伝子の半分が、私のものであることは知っている。Trang が十七歳になったのか、十八歳になったのかは知らない。結婚もしないままに、外国人に妊娠させられて、子どもさえ生んだ Trang に、痛ましさを感じるのは寧ろ私自身の背徳にすぎない。私は彼女を、壊してしまったのかも知れない。「人身売買みたいなもんじゃん」笑って、「…だって、やばいよ。」そう言いながら「未成年じゃない?…外国まで来て、」藤井加奈子は三十過ぎの「たぶらかして、犯罪してんでしょ?」重ったるい豊満な体をソファーに預けた。いつだったか、まだ彼女がベトナムにいた頃、海岸沿いの彼女のホテルで。

両親さえ死んで仕舞った Trang に身よりは最早なく、私にすがるしかないのだが、Trang はかたくなに、私が彼女のそばに永遠にいるなどとは信じなかった。けっこん、と、促音のなまりが強い日本語で Trang が言った言葉は、横に振られた私の首に、…まだ。

まばたく。そして、見詰める。私を。一瞬、沈黙して、ややあって、黒目がかすかに震えた。まだ、ですか?

まじゃじぇっか

まだ。早い。

まだ。入ったカフェで汗ばんだ顔を洗い、写った、私は自分の老いさらばえた顔をぬらした水滴を見たが、いまだに、こんにちはの挨拶のように、綺麗ですね、誰もが言った。私を、そして、四十歳さえ超えた私が、いまだに彼らの、彼女たちの、その眼差しの中で、三十歳を少し超えた程度にしか見えないことは知っていた。無残なほどの穢らしが肌に浸透していた。骨の中まで腐りきっている気がする。私は美しい。美しかったことなどあったのか、それが疑問だった。十代の頃から、どうしようもない衰えは自覚され、吸い込んだ私の息遣いを聞く。結婚など、本気で Trang が求めているとは思えない。

自分たちでガソリンを浴びて、走り回り乍ら燃え尽きて、死んで仕舞った Trang の両親の命日だった。その、山際に切り開かれた広大な墓地に、私たちは菊を持っていかなければならない。追悼のために。カフェで、人目も憚らずに、母親の当然の振る舞いとしてTシャツの胸をめくって、母乳を与え、私を見上げた Trang の微笑みの向こう、多すぎるほどに豊かなその髪の毛が、結ばれないまま日差しにきらめく。あきらかに、何かに充足した。その何かが何か、本人にさえわからないに違いない。

かすかな彼女のしぐさが、髪の細やかなきらめきの群れを滑って移動させ、傍らの胸元から、重なり合った彼女と、子どもの体温と体臭を、いつの間にか私は感じ始めていた。

いとおしい?そうに違いない。私は、いとおしい。

バイクのうしろに追った Trang はジャケットで赤ん坊をくるんで抱き、走らせるバイクは私の、そして私たちの視界の風景を、流れさる速度の中の一瞬の出来事に変えてしまう。何も見詰められることはなく、気付かれたときにはすでに、視界の向うに忘れ去られていた。

海の果てた水平線がもやがかって、大気はまだ光を湛えながら白霞み、山の連なりが衝突した雲を雪崩れさせた。海の反対側のビルと開発途中の広大な更地の向こうに、夕焼けが始まり始めていることには、見なくても光線の気配が気付かせた。やがては湾岸道路をそれて、山のほうに向かい、まだ夕焼け始めかけたにすぎない空を正面にして、私たちは知っている。すぐさまその空はあざやかな色彩に染まって、一気に崩壊して仕舞った光の散乱のときを、しかし、瞬間で凝固したかのように、ゆっくりとした時間の中に引き伸ばし、時間の中に宙吊りにされたような、太陽光の破綻の時間がすぎてゆく。Thanh タン、と、ふいに Trang の口走った言葉が風の中で、…Thanh

もう一度言ったその言葉に、聞き取られた Trang の音声は私の記憶をくすぐるが、「Thanh?…どこ?」いるの?、と、言った私の日本語を聞き取れない Trang が、しかし、彼女が何かを思い出すというわけでもない。ただ、不思議そうに顔を傾けた眼差しが、私を風の中で捉えた。髪がはためく。

それは行方不明になった Trang の弟分だった。十四歳の Thnah と言う名の少年は、彼の家族たちを殺してしまった。もう、一年以上経っていた。駐たバイクにまたがったまま、周囲を見回したが、もはやどこにも見当たらなかった。Trang が守ってやろうとした保護の手の中からさえ逃げ出して、確しかに、おさない Thnah が一人で生きていけるのかどうか、いまさらのように不安と危惧を、しかし、どこかで違和感が拭えないある距離感が在る。「Thanh がいた?」言った私に、すぐさまうなづいて、どこに?と、彼女は私にでたらめに、指先をやや後方に向けて、その気もなくばたつかせてみせるしかない。

覚えたての日本語で伝えるには、それは難しすぎ、ベトナム語など私が話せないことも、知っている。

墓地はすぐそこだった。バイクを止めて、雑貨屋にバイクを留めた私が長いベトナム線香の束を買っているときに、ふと、背後で感じた、誰かが不意に疾走し始める気配は、そして、振り向いた視線の中に最早 Trang は居ない。

Trang を探す。私の眼差しが、Trang を。子どもをつれたまま、消え失せて仕舞った気がした。 

事実、視界の中に、Trang はいなかった。気配さえなく。

匂いさえ感じない。

ただでさえ、無意味にたっぷりとしたあの髪の毛の。そばに近づく前に、いやおうなく嗅ぎ取られてしまうあの匂いさえも。

探す。

眼差しが泳ぎ、私は一瞬だけ、孤独感を感じた。

でたらめな眼差しのさまよいの端に、山がそびえる。山際に、樹木の伐採された泥面が剥き出しになって、それがかつての山崩れの凄惨な現場でさえあるかのような錯覚を感じさせた。

かすかに赤らんだ、茶色い、荒々しい、何かの痕跡。

巨大な手で引っかき、掻き毟って、壊して仕舞ったような、その。

むき出しになった、地球そのものの素顔。

瞬く。

その下、墓石が群れて山肌を這う。

無数の墓標。その色彩。着色された、その、黄色、赤、白、剥げた灰色、侵食する黒ずみ。

暮れかかる日差しが、暗く、やさしく、それらの形態と色彩を浮かび上がらせる。

左手で声がした。Trang は、何かを求めながら私を見詰めていた。なかば、なじるような眼差しで立ち尽くし、逡巡し、そして駆け出した Trang は右手の住居の前で、不意に立ち止まり、私を振り向き見た Trang の表情は、おののきと、憐憫とを同居させた。その意味が分からなかった。髪の毛は乱れ、胸に抱いた赤ん坊がもがいた。







「どうしたの?」傍らに近づいた私に身を預け、いま、Trang の眼差しは路面に棄てられ、いじけたように、頭をこすり付けられた胸元に、彼女の髪が擦り付けられる。匂う。うざったいほどに、そして、初めて会ったときの、縋りつくような、そのくせ、挑戦的な眼差しを思い出だす。

彼女の、悲鳴を咬み殺し、くぐもった悲鳴に反応した眼差しの中で、その声は老いさらばえた女のもののようにさえ思えたが、Trang の眼差しはあの時、言葉よりも早くその思いを伝えていた。わたしはあなたのものだ、と、私はそれを許可し、あるいは、あなたはわたしのものだ、と。それに甘んじ、そしてむしろ、私はそれを求めていたことに気付く。目の前に見えている緑色の家屋の窓から若い女の顔が一瞬、わたしたちを捉えた気がした。

見詰められたそこに、すでに姿はなかった。

女が襲われているに違いなかった。なにが?と、起こったのかわからない数十秒の沈黙の中に、Trang は何も言わない。

眼を開くことなく、閉じたままのまぶたが時にその下の眼球の動きを私に教えた。開かれたドアから出てきたのは Thanh だった。意図的に感情を低く抑えた温度のない眼差しが、私と出会った瞬間に、笑みにゆがみそうになったのを、私たちは見逃さない。年上の少年がもう独りドアから顔をのぞかせ、一瞬の敵意の後、すぐに私たちに笑みをくれた。だいじょうぶだよ、と、Thanh は彼に言ったのだった。そのかすかな、間延びした身振りで。年上の少年の表情が、粗い、不遜で、臆病な眼差しを取り戻り、突っつかれるままに Thanh はバイクに乗る。

バイクは二度、噴かされた。彼らは疾走し、去り、その音響だけを残して、女を強姦したようではなかった。確信はない。確認する気にもならない。助けが必要な女が、家の中にいるに違いないことは知っている。あるいは、負った致命傷に、あやうく命を取りとめながら。

他人に過ぎない。私たちの知っている人間ではない。私たちの知っている人間は、すでに走り去って仕舞ったのだ。スズキの細身のバイクで。

盗難には違いない。殺そうとさえしたのだろうか、こころをへし折る程度の暴力に留めたのだろうか?あるいは、脅しただけなのか。気配は何もない。

風が街路樹を鳴らす。

Trang は何も言わずに、腕の中の赤ん坊をあやした。土の斜面を登ってたどりつた墓地の脇の窪地に放し飼われた牛が眼を逸らし、私たちを疑い、慎重に草を食み、その体躯の巨大さに、いつものように、それが私たちの食用に過ぎないことに違和感を感じる。小さな猫が、彼らによって家畜化された猪を食っているようなものだ、と。

沈みかけた日差しが山の連なりに濃い色彩を与え、まだ空はくらまない。真新しい墓に線香を立てて、それは Trang の父親の墓だったが、土葬のその中には私のよく知っている彼の体が、腐っているはずだった。崩壊したとしても、それを構成した分子の群れそのものはそこに存在しているに違いないことに、なにか、惨めな残酷さを感じた。火葬のほうが残酷なのだろうか?土葬のほうがむごたらしいのだろうか?焼くんだよ、と、「日本では、焼きます」分かりますか?埋葬の数日後で笑い乍ら言ったとき、Trang は深刻な顔をして、どうして? 言って、私はどこで死ぬのだろう? なぜ、そんな 日本に 残酷なことを? 居場所がないわけではなかったが、もはや、そこで生き続ける気はなかったから、実質的に私は日本に居場所などないのと同じことだった。事業の海外展開の可能性を切り開いた、と言うよりは、切り開かざるを獲なくなった必然の中で、あの、充溢したささやき声の群れ。日本人たちの、日本語。ささやくような、高速の音声の、無際限な連なり。それらから逃れ獲る可能性が目の前に開かれたとき、私はすぐさまそれに飛び乗った。いつ、帰ってくるの?いまだ存命の、七十歳近い父親と母親は、妹は幼くして死んで仕舞ったので彼らの一人息子に他ならなかったが、私を信じようとして、すでに諦めてもいる眼差しの中で、時にそれを何度も繰り返し乍ら、私には聞き取られ獲ない他言語の音声の群れの充溢の中で、私は結果的に彼らを裏切って仕舞うに違いない。

亡命。の、ような、その。彼らの眼差しはすでに、彼らが、もう裏切られて仕舞っていることさえ、知らない振りをしていることを明示していた。やがて私はベトナムすら立ち去るに違いなかった。その必然性がない以上は、今、私は言う、いるよ、と、ずっとここにいる。

ここにいるよ。ずっと、あなたのそばに。「なんで?」Nam ナム という、同年輩のベトナム人の友人に、ベトナムが好きだから、…ね?やがて、例えばジャカルタにたどりつたとしたら、ブノンペンに辿り着いたとしたら、同じことを言っているに違いなかった。Ma マー は、と、柾也という まー、さー、やー、三つのシラブルを重ねた彼らとって長すぎる名前を簡略した、私の呼び名を呼んで、Ma はベトナム人だ、と、Nam は言って、「どうして?」

「…ん?」

「日本人はみんな中国人みたいだ。」笑い乍ら、彼らにとって《中国人》という言葉が否定的な意味をしか持たないことは知っている。「お前だけだよ、日本人は。お前は100%日本人だ」Nam のへたくそな英語に耳を澄ます。微笑みを維持する努力を、無意識のうちにする。Nam が突き出したグラスに乾杯して、私たちは Larue ラルー という現地のビールに口をつけた。電力タービンの技術者の Nam は日本企業がベトナムに原子力発電所を開発したときにも、複数の日本人たちと働いたのだった。福島のあとだった。

Trang の腕の中で子どもが声を立てた。私の声を呼んだ Trang を振り向き見て、上目遣いの Trang をみやり、微笑み、母親の墓に行くためには、もう一度バイクに乗って、それなりの距離の山道を走らなければ為らない。







墓参りの全ての日程を終えたとき、不意に立ち止まって、疲れましたか? Trang が言ったが、首を振るわたしのしぐさを Trang は信じない。あなたは疲れているはずだ、と、何かを後悔し、自分のために疲れ果てた私の姿に、自分たちへのやさしさの止め処もなさを確認して恍惚とする。ほんの、少しのドライブに過ぎない。誰も疲れ果ててなどいない。湾岸道路を、スピードを落として走る私の視線の向こうに、海岸を歩くまばらな外国人たちの姿が散見され、くらむ空は色彩を濃くする。山の頂の、崩れ落ちた雲の部厚い白さが停滞したまま、ふもと近くにまで霧立って雪崩れる。生成し始めた夜の色彩が空の全体を一気に支配し始めて、ふたたび覚醒した透き通った色彩の、青黒い濃さが、見上げるまでもなく視界の半分を埋め尽くす。





2018.03.01

Seno-Lê Ma






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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