小説《私小説》Ⅱ ①…放蕩息子は帰郷する。
私小説 Ⅱ
クアラルンプールから経由した羽田行きの飛行機に乗った瞬間にうんざりする。機内中を埋め尽くした日本人たちの群れは、どこまでも、無慈悲なまでに日本人たちにすぎない。舌の上に高速でささやくような日本語がしずかな機内に、時に文字通りささやかれ、それらは、ただ、彼らが日本人である証拠だけを明示した。あと何時間この空間を共有していなければならないのだろう、と、わたし自身があくまでも彼らの一部に過ぎないにもかかわらず、なにか惨めな腹立たしさにいたたまれなくさせられる。自分たちが知っている日本と言う彼ら固有の概念らしきものに、がんじがらめにされた自分たち自身の奴隷たち。インド人らしい目鼻立ちのくっきりとした、もう若くはない男たちの4人くらいが群れて、機内の隅で、彼らの全体を伺うように、そして目を逸らす。彼らにとって、さまざま人種とさまざま国籍とさまざまな言語種が入り乱れた空港のロビーや、他の外国以上に、あからさにこの機内の中は異国の地に他ならないはずだった。5年ぶりで羽田に下りると、周辺の空港の機材の釘一本の表情さえもが、完全に日本人のように見えて、いますぐに、どこでもいいから《外国》に逃げ出したい気がする。目を逸らしたいほど無残な懐かしさ、というのだろうか。Sim カードは意味不明に高額で、WiFiはつながりにくい。日本人たちにとっては、全く問題ないことなど知っている。彼らはそんなものは使いはしないから。持っていても意味のないスマホをそれでも取り出すが、時間を確認するくらいの用しか成さない。出迎えロビーで一瞬立ちずさむと、彼女の姿はすぐに目に留まった。あれから、たしかに、すこし歳を取った。とはいえ、大人になった、というくらいなのだろうか。うっとうしいほどに潤んだ黒目がちな眼差しが、すぐにわたしを捉えて、彼女に近づいくわたしの表情に浮かんだ笑顔を、彼女はどんな風に見たのだろうか?屈託のない笑顔だったのか、疲れた笑顔だったのか、悲しげな笑顔だったのか、無理に作った笑顔だったのか。彼女と会うのも当然、5年ぶりだったが、そんな気もしない。30を超えてから、一年も二年も、気が付けば経って仕舞っているので、それは彼女のせいではなくて、単に、自分の時間の感覚のせいだったのかも知れなかったし、…あ、
と、その、ふいに口先で呟かれた、彼女のそれは、わたしは彼女のその声が聞こえた気がした。音声は聞こえなかった。その唇の先だけの、確かに、それはささやかれたのだった。空港の、ささやきと呟きの無数に連なった騒音の騒然としたふしだらな散乱の中に。そのくちびると眼差しはまだ近くはない距離に隔たっていたものの、それは、そしてそれが私のすぐ近くで。
その一瞬に、その音声の、彼女の体臭さえもがにおわれた気がした。小柄な彼女の、わたしを捉えた眼差しが、開かれた瞳孔のうちに、わたしを捉えながら通り過ぎてしまって、向こうのほうを、にも拘らず何か見えていたわけではなくて、そんな、立ったままの彼女の、まぶたも閉ざされないまま失心したような表情は、ただ、彼女に顔の上にだけ固定されていた。やがて、わざと、意図的にすれすれの距離に近づいたわたしの「何?」彼女は、「どうしたの?」その久しぶりに聞いたはずのわたしの肉声を聞いていたには違いないが、答えもないままに、彼女の名前は波奈子(はなこ)といった。そのまま、わたしを上目遣いに見つめた無言の、そしてややあって、「お久しぶりです。」その瞬間に、正気づいた彼女の眼差しに、わたしはふたたび捕らえられたのだった。「元気でした?」
わたしは四十歳を超えていた。ほんの子供のころに老けて見えた類の人間の常で、いまや、年齢不詳の人間だった。若々しく、無国籍風の端整ささえあって、深いほりの影に、甘い憂いがさすときに、人は既に魅了されている自分に逆らえはしない。誰がわたしを美しいと、諦めたように言った。十五歳のころから、身長も体重も含めて、ほとんど変わっていないわたしは、明らかに出来損ないの冗談のような子供だった。夢見られた夢の溜息に命を与えたような、そんな男らしく美しい顔だちの十二歳児に、美しさのかけらをさえ認める馬鹿はいない。見世物のような、滑稽な奇形児に過ぎなかった。いずれにせよ、いま、歳を言えば、例外なく驚かれた。賛嘆の眼差しと共に。ちょうど十二歳年下の彼女と並んで立っても、誰の目にも怪しまれるべき必然はなかった。頭一つ分身長の低い彼女は、ちょうどいいくらいの、年上の彼氏を出迎えた女に、波奈子は見えたにちがいない。彼女と並んで立つとき、なにか、どうしようもなく惨めな気分をぬぐえない。いつも。自分が、自分の部屋の中で、独りだけでいつくしみ、愛でて、秘密にしていた宝物を、たとえば小学校のホームルームでいきなり友達の皆の前に開陳されたような。頬を赤らめた友達の、優しい共感のこもった、わかるよ、うん、わかる、そうだよね、という同意の声が、むしろ無数の針のようにわたしのやわらかい羞恥心を攻め立てる。波奈子は、そんな、恥ずかしい《夢の女》だった。つややかな髪の毛が何の混じりけもなくすっと伸び、小作りな頭部に、端整な、整いすぎた気がするほどに整った顔がある。おおきな、夢見るような目は、いつもその潤いの気配を失うことなく、憂いをさえ帯びているが、裏切りか偽りのように活気のある、黒目がちな目がまっすぐに、既に自分をみつめ続けていたのに気づく。…いいんだよ。そのままで、いいんだよ。そんな、やさしく理不尽な許しとともに。下唇だけが、上唇に比べて倍ちかく肉付いて、ふっくらと、その重量感が、唐突に、無意味な物思いにふけらせた。目に付くのは肌の色は黒さ。日に灼けた、というよりも、生まれつきの褐色だと言うことが、すぐにわかる、はっきりと深く定着した、はりのある色彩だった。いろぐろ、という言葉のいびつな響きを思い出す。ほそく、ながく、華奢な首筋から、繊細な鎖骨のくぼみは、痛々しくはないかすかな、やさしい肉の隆起を、そして、その、しまった、やわらかな二の腕に挟まれて、直視すること自体を恥じなければならない気がしたほどに豊満な胸のふくらみが突然、現れる。美しく、贅沢な。くびれすぎない優しい、しかし急激な曲線を腹部から下腹部、そして腰の周りが描いて、大きすぎないものの、たっぷりした厚みの臀部がその上半身を見事に支えた。そこから、ふとももにかけての単純な線が、どこまで、正確な曲線を描き、描かれた、美しいその明晰さは、足首の嘘のような細さにいたって、彼女は、まるで中国の古い帝国の男たちが纏足の女たちに夢見たような、鳩か、それでなければ妊婦を思わせる歩き方をした。小柄なだけに、ひれふすような、圧倒する美しさではなくて、いじましく、ひっそりと愛好され、愛玩される慰みもののようなかわいらしさ。夢の、あるいは、正確に言ってしまえば、いじましい自慰の道具のような女。ふたたび、顔に視線を戻すと、見られることに慣れ、そして、盗み見られることにはさらに慣れきっている彼女の、見つめる視線を留保なく許し、見つめたことにいかなる咎をも課さない、単純な微笑みに、目線は絡み合うのだった。そのときには、その鼻梁のちょうど真ん中、つまり、顔の真ん中に刻印された目立つほくろという、あるいは、このものの美しさの端整さそのものを大きく損なっているのかも知れない大きな傷も、この、愛玩人形の、特異な個性に過ぎなくされる。その《いろぐろ》も。美しさの破綻、ではなく、破綻した美しさ、ではなく、何かを意図的に乱す技術によってのみ、初めて完全に描き出され獲る類の美しさ。ほくろは、その位置のせいで、何かの象徴なのか、兆しなのか、聞き取れない言葉、読み取れない記号として、何かを予感させようとしているように見えた。それを何人の男たちが、彼女が少女だったころから、その意味を見出そうとして、彼女に見つめられ、許されながら、それを見つめ、盗み見てきたのだろう。同姓に毛嫌いされる類の女には違いないが、頭の切れる彼女が、彼女たちに嫉妬させる隙を与えなかった。同性たちは周囲に群れていた。彼女は男には興味がないと言い、言われ、実際、そうだった。美の濫費。…美の、らんぴ?例えば、人類が滅んだ後に、崩壊したルーブルの廃墟の、打ち破れた天井から漏れさす光に照らさせて、ミロのヴィーナスが、やわらかい日差しの中に、誰のためにでもなくその美しい半裸体を曝し続けるとしたら、それは、地球が崩壊するまでの、あるいは、ほんの一瞬なのかも知れない永劫に近い時間の中で、泣き伏さねばならないほどの孤独な美しさに違い。美の濫費、それは、そのような美しさに与えられるもので、もちろん、手淫かたてに男たちが夢見た発情の対象に対して与えられるべきものではない。みじめな愛玩動物の波奈子のような。発情的、ということ。女性美の起源であって、そしてその根拠をなしながら、美、と呼ばれた瞬間に、半ばつばを吐きながら穢れものとして捨象され、辱められてしまうもの。周囲の人々の、眼差しを一瞬気にしてしまうのは、彼女の、その無数の手淫の気配を、わたしが恥じたからに違いない。あるいは、わたしを見つめる彼女の眼差しの表情に、五年間の時間の経過が一切感じられなかったからなのか。単に、久しぶりに帰ってきた日本に関して、当然感じざるを獲ない既視感に、いまだになれないままだったからなのか。同国人に他ならない日本人たちは、わたしの目に、はじめて見る外国人たちのように見え、当たり前だが、彼らのことなど昔からよく知っているので、この、見慣れない既視感というべき、錯乱した感覚が拭えなかった。その錯乱は、波奈子に対してさえ、何かの印象をわたしに与えていたに違いなかった。わたしは彼女に対する裏切り者だった、とは言えた。彼女にまもともな別れも告げずに、ベトナムに行って、仕事とはいえ、多忙を都合に五年間も帰ってこずに、挙句の果てには、そこで出会った現地の女性と結婚さえしてしまったのだから。それを彼女に対する裏切りであるという認識にも、どうしようもない錯乱感が付きまとう。眼鏡を外した乱視の視力が捉えた視界のような。なんども彼女はわたしに抱かれたが、彼女がわたしの、彼女はわたしの、女だったことが一度もなかった。体だけの、あるいは金銭だけの、ともいえない。そこまで、すっきりと合理的で、綺麗な関係ではなかった。心の柔らかい部分に寄生して、小さく噛み付いて、かすかに、内側にだけ出血させて、そして、ゆっくりと、いつのまにか、執拗な甘い臭気を立てながら腐っていく、そんな、他人にとっては、そして、自分たちにとっても、どうしようもなく不愉快なはずの、希薄な、執拗な関係。
ホテル、行きますか?と言った。あの、…あ、という声から、そしてその後の一瞬の、気まずい沈黙の2秒の、それは、やがては、彼女のその声にによって断ち切られのだった。ホテル?と、わたしは、彼女に自分が宿泊する用のホテルを頼んでおいたことにさえ気付かないまま、…抱きますか? と耳元にささやかれたような気がした。単純な、鼻にかかった笑い声をたてて、わたしを先導する彼女にやや遅れて従い、始めて会ったとき、彼女は22歳だったから、もう十年近い時間がたったことになる。その十年近い時間を、あるいは、やがては彼女が、一生の中で最も美しかったといわれることになるのかもしれない期間のほとんどすべてを、わたしは彼女に濫費させてしまったのだった。女を口説くのは、趣味のようなものだった。狩猟本能、とはいえない。それは、飢えて、生きるためにするものだから。あるいは、鼠を狩る猫のようなもの、ではあるのかもしれない。すぐにかみ殺しさえせずゆっくりと、咬んでいること、いま、口の中に一個の、さまざまな事情と、さまざま意味と、さまざまな関係性を、それ自身に固有のそれらをいっぱいに抱えた小さな生命が、そのすべての権限を奪われ、捧げさせられて、ほそく血を掃きさえしながら首と両手足を伸ばしたままに、表情の一切を失った、透明な絶望にだけ染め上げられた黒目で何かを見つめていた、それがいま自分の口の中にあること、そのどうしようもない快感に恍惚とした、美しく、瀟洒にして、地上のあらゆる生命の中で、もっとも繊細な生き物の一つ。美しい猫たち。初めて抱いたとき、それは、彼女の、《夢のような》気配が想像させたような、まさに《夢の》行為で、逆に、ゆえに、予測済みの既視感にさいなまれる退屈さとすれすれのものだったが、「わたし、」と、行為の後で「彼女ですか?」水を飲みに立ち上がったわたしに言った。わたしにだって返す言葉の用意はあった。振り向いて、すぐに言いかけたわたしの口を、まるで手で塞いだかのように、「…じゃ、ないですよね?」ベッドの上で仰向けのまま、放心したように、わざと両手足を投げ出したままの彼女の皮膚が、暗い空間の中で、いよいよ黒く灼けて見えた。太陽に、というよりは、夜の黒さそのものを簒奪してしまったように。「ですよね?」彼女は、そして「怒ってる?」そのわたしの声を、横向きの眼差しに捉え続けたまま、ややって、首を振った。微笑みもせず。無表情なとは決していえない、なにかの兆しをだけ、数えられない複数、明示しながら。「悲しい?」
「ぜんぜん」
「うれしい?」
「ぜんぜん」
「嫌?」
「まさか」
「じゃ、」と、わたしの「何?」声に、彼女はふいに一度だけまばたいたが、「…好き。」と言った。いいね、と、鼻の浅いところでわたしが立てたその優しい笑い声を、わたしも、彼女も、聞き逃しはしなかった。「きれいな答え。」美しい、と、言って笑ったわたしを、そして彼女は目を閉じた。意外だったは、彼女が初めてだったことだった。男好きのする女。例えば十代のうちだけにでも、あの、盛りの付いた、どれだけの眼差しに見つめられ、盗み見られて、それらの眼差しが、彼女を裸に剥いて、夢見て、あるいは、穢して仕舞ったのだろう?言葉は途切れたまま、水を飲むきっかけも失って、ただ、壁にもたれたまま彼女を見つめたわたしに、やがて、彼女は言った。「初めてじゃないですよ。わたし」くすくすと、いたずらの結果を見て噴き出したような音を立てて笑うのを、「ひでぇな。だましたの?」戯れに笑いながらわたしが言ったのを、彼女は聞いたのだろうか?「嘘じゃないですよ。初めてじゃないですよ」目を閉たまま、そのとき、幼児のように身を丸めて寝転がった彼女の横向きの、わたしは髪の毛をかき上げてやった。「ひどいじゃん。おれ以外のやつに抱かれてやったの?」わたしの戯れの誹謗の「いつ?」ささやかれた音声を彼女は聞く。「12歳。」そう言ったとき、目を開いて、その言葉をわたしに眼差し越しに焼き付けようと望んだのか、彼女は最早、視線を揺らがせさえしなかった。
なぜ、そんな嘘を言ったのか、気になった。あるいは、本当なのかも知れない。何か、暗い過去なのかも知れない。とはいえ、わたしには、それらは興味のないことだった。彼女が話し出せば聞いてやるかもしれない。話されない今、それは、存在しない通り過ぎた、いつか誰かが見たかもしれない、忘れられたことだけが知られている風景に過ぎない。
大学を卒業して、ある大手の広告代理店に就職していた彼女が、営業に来た、それが出会いだった。ビジネス・スーツは、彼女に着られると、悪趣味で扇情的なショーのコスチュームにさえ見えた。そんなくだらないショーに何の悪気もなく出てしまった、純粋で、無垢な少女。それは、わたしが友人とやっていたカフェの中だった。「あなた、成績いいでしょ?」わたしは顔を合わせて、一分後に、冗談めかして言っていた。…まぁ、おやじたちが放っておかないよね?天井の扇風機が回った。ゆっくりと、そして真顔で否定するものの、もし、おれが、と思った。彼女だったら、どうだろう?目に付く男の片っ端を、自分のためにこき使ってやるな、と。クレバーな計算と、節度さえあれば、十分に可能だった。それは二十代の頃、ずっとホストだった頃の感覚の名残かも知れなかった。実際に、波奈子は社内で何度も表彰対象になるほどに、成績は優秀だった。そのころ、始まったばかりのフェイスブックで、なんどかタグ付けされたそれらしい他人の記事を見かけた。彼女が、わたしを本気で愛していることには気付いていた。それは、眼差しや、表情や、言葉遣いや、しぐさや、誰も錯誤でず、誰も無視できない、犬が匂い付けして回るような明らかな表示だった。とはいえ、何かを積極的に求めるわけでもない。彼女は、自分が何を求めているのか自分自身にさえわかっていないのではないか、そんな気がした。彼女はわたしの女ではなかった。忘れた頃に、求められるままに体をささげ、忘れた頃に、連絡されるたびに会いに来て、むしろ自分からは何の要求も言わなかった。何の連絡さえも。それでいて、彼女はわたし以外に、彼女の男を作りはしなかった。いかなる意味であっても。もはや、孤独になれて、慣れきった人間が、孤独であることにさえ気付かなくなった、そんな、少しだけやわらかい狂気に近い何かを感じさせる危うさへの親しさを、わたしはやがて感じ始めたのだった。例えば、彼女がふいに切ってしまったわたしの指先に、痛い、と声にならない声帯の振動の波紋をだけ、どこかにならした、その一瞬の表情の、眉の付け根の辺りに。かすかな。微妙な。孤独、と、その概念を彼女が知っているとしたら、それさえもが驚きだったはずだった。常に、人々に噂され、眼差しに捉えられ、夢見られさえしたかも知れない、みじめで派手な存在であるのには違いないのだから。
ホテルに着いて、わたしがベッドに身を投げ出すと、「疲れました?」彼女は「…よね?」まるで、いままでご主人様に手を付けられたことなどない純朴なメイドのような、いつものあの清楚なたたずまいのうちに、「変わんないね。」私の声を「ぜんぜん」聞く。「そう、…ですか?」
「びっくりするくらい」
「そう、…ですね」
「ぜんぶ」髪の毛のつやも、肌のつやも、と、「その瞳の輝き、」わたしは言う、「そのかわいいほくろ、」と、彼女の微笑みが、ただ優しく注がれた。昨日別れた人と、いつもどおり会った、慣れきった、「どうしようか?これから。」
「食べます?なにか」
「どっち?ごはんを?波奈子を?」
「どっちでもいいですよ」彼女の鼻から漏れた笑い声に、その瞬間だけ彼女は、いま、初めて男の抱かれるような、何かを決意したことを伝えようとする表情を、「どっちに、しますか?」なぜ、彼女はそんな表情を浮かべ続けるのだろう?あまりにも慣れきって。狂ってるぜ、と、わたしは思った。微笑み、指先で、彼女のくちびるに、そして迷いなく、飢えたように胸をわしづかんで、その瞬間の、彼女の生きたまま食い散らされつつある草食動物のような表情を見逃さない。狂ってるよ。優しく、かわいく、ちょっとだけ切なく、繊細で、みじめで、いい感じに、わかる?狂ってるぜ。狂ってない?狂ってんじゃん。誰が?波奈子を、彼女を、あるいは彼女たちを、抱いたときにそれらの眼差しがわたしの体の下で見せた、その同じ視線を捉えているまさにこのときに、うるんで、受け入れようとして開かれきった瞳孔の先に、どうしようもなくそのいくつもの眼差しはわたしを必ず通過して、結局は何も見ていない気がした。空っぽで、無機的なままに。彼女がわたしを見ているのは知っていた。その視覚が、わたしの形姿を、そして、それ以上の何かを、捉えていたことは。その、何をも捉えきれずに通過するしかなかった眼差しのうちにだけ。あの、不愉快な、かすかで執拗な恐怖感のようなもの。恐れと戦きの、否定できない壊れそうな兆し。聞き取れないほどの息遣い。ふいに顔を挙げ、いつか、捉えられた、鏡に映ったわたし自身の眼差しを見出したとき、たしかに、わたし自身の、恋に飢えたように見えるその潤んだ眼差しは、彼女たちのそれに限りなく近いものだったことを、それを見てしまった一瞬に、これは、誰を抱いていたときの一瞬だっただろう?いつの?わたしが鮮明に感じた、手に触れられず、必ず、わたしに触れようともしないそばにあるだけの恐怖感は、思えば、たとえば、晴れた日の外出先で、ふと、視界の中のすべての人々が仮面をかぶっていたことに気付いたときに、恐怖して叫び声が立てられる前に、振り向いたそこにあった姿見に映った自分の頭部に既に、その同じ仮面がかぶられていたことを見出した、その瞬間の。あるは、外出先で、ふと、視界の中のすべての人々の顔が、滑らかなのっぺらぼうで、とはいえ、いずれにしても、あなたは私に触れたことなどなかったのだ、と、触れようとしたことさえも。なによりもわたしに触れることを望みながら?「なに、見てるの?」そのわたしの声を伏目のうちに聞き流しながら、波奈子は言う、…え?と、その、かすかな、幸福な、ついに思いが遂げられた、その充足感をひそめて湛えた、「…え?」その声を「見てませんよ」聞く。「何も。」
「見てよ」
「何で?」わたしの声が、どこか誘惑を含んで、笑ってさえいたのは知っていた。「見たいんでしょ?」
「何を?」
「触りたい?」
「何で?」
「キスしたいんでしょ?」…え、そのくちびるが息と共にかたちを崩し、確かに、扇情的なくちびる。あくまでも愛玩用の、「したくないですよ。」
「嘘。」
「したくないから」小声で笑って、見上げられた眼差しの潤いの、その黒目の、盲目的な、無根拠な、無機物の空白。「嘘」
「なんで?」彼女の立てられた、媚びた笑い声を聞き、「我慢できないんだろ、」ひざまづいて、伸ばされた指さきで、「もう。」触れようとして空間をだけなぞったわたしの数本の指先の、自分の顔の曲線に従った動きを、視界からわざと外して見せながら、彼女が、例えばその皮膚で、それを見ているのは知っている。「いますぐ、おれの体にさわりたいんでしょ。キスして、匂い嗅ぎたい?したいんでしょ。してほしい?」
「違う」
「毎日俺のこと思ってたんだろ?ずっと」
「…だから、」
「されたい?」わたしをだけ見つめ、微笑みながら、わたしは彼女に、後で、…ね?、言って笑った。「めっちゃくっちゃに。」
波奈子は会社を辞めて、いま、歌を歌っていた。自分で曲を書いて、ライブをセッティングし、セッティングされ、確かに、彼女の、他人にとっては無根拠な不意の転身は、会社の中でスキャンダルだったに違いなかった。記録的に優秀な成績を収めていた、いわば社内の勝利者だったのだから。会社を辞めてから作曲の勉強をした、と言った。コードもほとんど知らず、ギターにも触ったことが無かった。ピアノには、子供のころ、友達の家のそれと音楽室のそれに、何度か触ったことがあった。友人たちは彼女を応援する言葉を投げたが、不安な疑いだけは、どうしても残りつづけた。正当化され獲る理由が無かったから。転身は、いまのところ必ずしも成功しているとはいえないのかもしれないし、そもそも、二十世紀的なレコード産業のビジネスモデルが、どこでもかしこでも破綻したばかりの世界の中で、結局、何を持って成功したといえるのか、わたしにも、彼女にも、その周辺で、彼女を庇護しようとした人々の心配そうな眼差しの中にも、明確な答えなどなかった。ベートーヴェンが成功者だったのは、彼の百年後の人間たちにとっての必然に過ぎない。かれの曲は、レコードとして大量に売れたから。かれ自身の時代において、彼が失敗ではなかったと言い獲るのは、かれが単に飢えて死ななかったからに過ぎない。だとしたら、かわいそうなシューベルトは?ブルーノ・ワルターとウィーン・フィルとコロンビア・レーベルの成功であって、シューベルトは単に失敗しただけだったに違いない。何度か、彼女のライブに言ったことがあった。それでも、そんな彼女のファンたちはそれなりの数がいて、その若くは無い男性たちのやさしい眼差しを浴びながら、かならずしもわたしの好みではない種類の歌を歌う彼女の、どこか恍惚とした表情は、多くの、シンガーと呼ばれる人間たちが一般的にステージの上で見せる表情の紋切型のヴァリエーションには違いなかった。歌われた《あなた》にささげられたのかも知れない、(それはわたしだったかもしれない、と、わたしが、そして、同時にわたし以外の多くの彼らが、そう、錯覚したように思った、それらの)彼女の言葉が、そのくちびるから発されるとき既に、その眼差しは見出したかも知れない《あなた》の姿を追ったのかもしれないが、(追ったその目線と追われたかもしれなかったそれらの目線の、あやうく交差しない、お互いの向こうの方で、そして)彼女の見ている風景自体は、(すぐそこの、)ステージの逆行の中の黒に他ならないことは、(その、)誰もが知っていた。何を見ているのか、たぶん、その本人にさえ判断できない行方不明の、そして、むしろ、見ている彼らの眼差しに、触れすぎて通過してしまったような近さの錯覚の中で、わたしたちは、そのとき、彼女に触れた気がしたのだった。耐えられない、どうしようもない、錯乱していることさえ既に気付かれていた近さ。だれか、彼女の声を聞いていたものがいたのだろうか?彼女に、自分の声を聞かせ、彼女の声を聞かされるばかりではなく?
とりあえずシャワーだけを浴びて、出てくると、ベッドの一番端に腰掛けたまま待っていた彼女はスマホをいじっていた。ホテルのカフェへ食事に行き、人々の群れ。ここが日本だということを、どうしようもなく気付かされる、それらの人々の群れ。音声と、その仕草の。外国で会った彼らに、日本語で話しかけると、日本語、上手ね、と、あきらかに優秀な下位者を賞賛しながら見下げたまなざしを向けて、「…日本語、上手だね」疑うように言ったすぐあとに、…え?と彼らは言い、「…あ、」日本人ですか?「あの、…あ、え?」ひょっとして、と、そう言ったが、今、彼らの視線には、わたしは単なる日に灼けた日本人男性以外ではないのかも知れない。あるいは、波奈子をふくめて、アジアのどこからか来た、一般的な日本人のように良心的で優秀な外国人だと、彼らは思ったのかもしれない。どっちだったろう?波奈子の肌は黒い。褐色の、むしろ、南のどこかの島の風景を、予感させた。スマホで、いつだったか、実家に帰ったときの写真を見せられたときに、その家族写真に写っていたのは、まるで、明らかに仲のよさそうな父、母、娘、息子の家に独りでホームステイした外国人留学生の女の子だった。波奈子は、誰にも似ていなかった。独りだけ、目が覚めるようにくっきりとした目鼻立ちで、そして、日差しの匂いさえ感じられる、褐色の鮮やかな肌を持っていた。整形したのか、どうなのか、そのとき、そう疑い、そして、彼女のためにそれを口に出さなかったのは、彼女の出生をまだ知らないままに、どうしようもない痛ましさを感じたからだった。彼女の顔が整形されていたとしたら、彼女は、手の施しようの無いコンプレックスと、ナルシズムに何重にもない交ぜになった、残酷で、悲惨なほどの複雑なペルソナにすぎなかった。ペルソナ、未完成の、描かれ続けたモナリザがペルソナだとしたら、その、ペルソナ。あのパリの美術館の中の隔離された空間で、見るものをどこからでも片っ端から同時に見つめ続けるペルソナ。怖くはない。書かれたものに過ぎない。家族たちの顔のヴァリエーションの一つから、波奈子の顔を作り出すためには、何回の執刀が必要だろう。どれほどの最先端技術が。メイクの能力を加味しても、それはおそろしい努力だったに違いなかった。その写真をわたしに見せて、彼女が語った、父への言葉、母への、妹への、兄への、それらの、それらを叙述し、描写する、無数の親密な、やさしく、選ばれさえせずに朴訥とした、とぎれとぎれに発された、それらの発話の群れに、わたしは感じたのだった。明らかな、狂気の発熱、その温度を。精神疾患とはっきりと呼ばれ獲る以前の、かすかで混じりけの無いそれ。もはや自分の親とさえ呼べないほどに隔たってしまった両親、あるいは兄弟に対する、語られたやさしさといとおしさの、それが嘘ではないが故にもつ、無慈悲までの違和感。いたたまれない、何も痛くない悲痛な痛さとして、彼女の言葉は、わたしに聞かれるしかなかった。やっぱ、と、顔を上げた波奈子が言った。「いい。」
その、不意の声は、ただ、確信に満ちていた。
一瞬、たじろいで、「なにが?」と、その、まっすぐわたしを見つめた眼差しを、わたしは、
「潤さん、いい。すごい、いい。」小さく笑い、「すっごく。」その笑い声を鼻に連鎖させて、彼女がその瞬間打ち切ってしまった会話の中で、自分が何をしゃべっていたのかさえ、既に忘れられていた。
日本に帰ってきた理由は、ただ、両親の埋葬のためだった。事故死だった。脳梗塞で、半身が不自由になった父を、車に乗せて、ショート・ステイ先の病院に連れて行こうとした母が、対向車線の貨物トラックと正面からぶつかったのだった。福山という広島県の小さな町で、交通量も少なく、見通しのよい道路だった。向こうから来た白い軽自動車が、急に、旋回するように突っ込んできて、何もできなかった、と、被害者のようにそのトラックの運転手は語った。らしかった。母の弟、つまりは叔父の妻が、そう言っていた。らしかった。人を轢いておいて、まるで轢かれたみたいに言っていた、と。なぜ、そんな事が起こったのか、誰にもわからなかった。居眠り運転として処理された。同時に二人の人間が、すぐに眠ってしまえるものなのだろうか?波奈子を東京に残して、新幹線で実家に帰る間中、新幹線のなかの外国人をさえ含んだ人々の風景が、その外国人たちさえ巻き込んで、ここがどうしようもなく日本であることを明示し続けていた。眩暈がするほど、何もかもうんざりだった。喫煙室の中の、ほんのささやかな、ん?…と、と…。あ、その、ああ、…。あー、あ。…ええ。それらの、その、言葉でさえない日本語の、気遣いの細かな音声さえもが。
父親の会社が倒産したのは、わたしが22歳のときだった。倒産と言う事態が、あそこまで重大なものだということも、初めて知った。生き残っていた父親の母親は彼の妹が引き取ったし、かろうじて生き残っていた母親の母親は、彼女の弟が引き取っていった。父親のほうは両方死んでいたから、どうでもいい。一人息子は、つまり、わたしだが、東京に出て行ったきり、帰って来そうもなかったし、帰ってきたとしても、彼に何ができるわけでもないことくらいは、彼らも、一人息子自身さえもよく知っていた。彼は、東京で水商売をしているような、どうしようもない人間だったから。大学まで行かせたのに、と思っていることは知っていた。大学に籍があった頃から。もはや、何の文句さえ言わなかったものの。高校の頃に頃に比べれば、それでも、まともになったには違いないから。子供の頃は天使のような子供だった。絵を見ることが好きだった。描くことさえも。音楽が好きだった。弾くことさえも。そして、本を読むことが好きだった。書くことさえも。小学校の頃には、文庫本で、自分たちは読んだこともない、名前だけ知っている本を、息子の彼が読んでいた。母親の弟に引き継がれた、優秀な血統が、流れているのだ、と彼は言われたものだった。彼の叔父は東京大学の卒業生だった。いまや、電源開発の企業の重役だった。たたき上げのエリートだった。縁故も無いところから這い上がったのだった。本物のエリートだった。原発事故が起こるまでは。もっとも、どうでもいいことだった。あと数年で、定年になるという頃の事故だったから。彼を苦しませるためには、それは、遅すぎた。彼に完全に意識されないですまされるには、少しだけ早すぎた。いずれにしても、彼は成功したのだった。幸福に、生きぬくことに。わたしはといえば、破綻が熟成されていく、十代の前半にあった不審ななにかが、いつのまにか、やがては芽吹いていて、彼らが気付いたときにはもう手遅れだった。まともな意味でのまともな人間にはなりようが無い、単なる奇形の人間に過ぎなかった。たとえ、歳を取るに従って、彼がとても知性的で、基本的に美しく、媚態を含んで、ときに、さまざまな人間たちを魅了したことさえあったとしても、故にこそ。彼の未来は、ただ、暗かった。彼らは、彼が、自分たちの骨さえ拾いはしない可能性さえ秘めた人間に過ぎないことにさえ、気付きながらも見なかったことにした。彼らは既に、すべてを失ってしまっていた。田舎の、くだらない、取るに足りないものに過ぎなかったにしても、彼らの社会的地位も、財産も、かつて彼らに群がっていた親族も、息子の、そして息子との未来さえも奪われ、破綻し、崩壊し、無慈悲なほどに単に絶望的なだけで救いようが無い風景が広がってしまったのを見出した、その瞬間に、喧嘩ばかりだった彼らは、おしどり夫婦になった。東京に出てから数年後、ふたたび出会った彼らは、ときに、息子の私にさえ立ち入る隙を与えない完璧に満ち足りた関係性の中に憩う、かならずしも幸福とはいえない、完璧に幸せな人間に他ならなかった。長い、とてつもなく長い時間をかけてつかれた嘘を、いま、ばらされたような、自分の人生のすべてを台無しにされたような気がした。かれらの、幸せな微笑の空間に身を寄せるときには。子供の頃、何度、彼らのいさかいの、暴力的な音響と、気配と、予兆に怯えてきたのだろう?ののしりあい、わめき散らしあい、肉体と肉体がぶつかりあって。目の前であらゆるものが崩壊していくような。見えているほのかな優しさが、危うい均衡の上にだけ成り立ったあやうい風景にすぎないことを、いやほど教え抜かれ続けるような。いずれにせよ、二人いっしょに死んだ。乱脈な、乱れることでしか生きていけなくなった知的で優秀な息子は、女たちの、男たちの、気が向いた腹の上で目覚め、何もかも、濫費に濫費を重ねなければ気がすまなかった。それを教え、そそのかしたのが、隣の少し悪いお兄さんではなくて、例えばレオナルドダヴィンチだったのだから、そもそも、たちが悪かった。更正のめどなどありはしない。叔父は言ったらしかった。生きる資格の無い人間だ、と。母に。あなたの補助はするが、あの子の面倒はみない。理性的で正しい意見だと、わたしはいつだったか思った。両親の死は、叔父の妻が教えてくれた。雨期の終わったベトナムである日、その昼下がりのいつもの熱気の中で、ふいに、フェイスブックに見たこともない三十代前半の女性からの友だち申請があった。名前には見覚えがあった。叔父の娘に違いなかった。不吉な予感がした。何かが起こる、或いは、何かが起こった。予想は違わなかった。連絡先を知らずに途方にくれていた叔母に、娘がした入れ知恵だった。叔母は、わたしがいま、ベトナムにいることさえ知らなかった。
泣いたの?そのときに。泣いた?泣かなかった?なぜ?泣けなかった?たぶん。泣きはしなかった。彼らの死を告げられたときに。あるいは、読んだときに。《お久しぶりです。お兄ちゃんですか?》その文を。どうして?その問いは愚かだ。彼らは既に死んでいた気さえした。《久しぶり。元気?》ずっと前に。ときにインターネット回線上で交わされた彼らとの無料通話の会話のさなかにさえ、《ありがと!元気。》それは最早思い出された思い出のようでさえあった。《いま、時間、いいですか?》面影はあった気がした、子供のころの《もちろん。忙しくても、あとで読みますよ笑い。》、たぶん、十歳くらいの頃の、名前は?《いま、元気ですか?気持ち、しっかりしてますか?》なんだったろう?彼女の名前は?とはいえ、その画像にあった、《どうしたの?》歳を取りかけた《おにいちゃん、久しぶりに会って、いろいろ、思い出とかも話したくて。なんですけど、ちょっと、言わなきゃいけないことがあって。》年齢的なかげりが既に見えなくも無い彼女は、子供と老いの中間を全く知らないわたしにとっては、しかし、もはや《おにいちゃん、大丈夫ですか?》美しいとはいえないだろう、《いいよ。なに?》誰にとっても《本当?》そして《逆に心配になってきた。笑》本当に子供だったころしか《言います。美恵子叔母さんと、武雄叔父さんが、なくなりました。交通事故です。即死です。苦しまなかったと思います。9月23日です》知らない《R.I.P.》わたしにとっては、《…そっか。ありがと。教えてくれて。》彼女に美しい時期があったのか、それさえ、《葬式とかは、父と母がします。いま、福山に来ています》知らなかった。三人姉妹だった。男の子はついに生まれなかった。
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