多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説47
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
——どこにいたの?
——ここにいたよ。
——うそ。
——お前が、ドア開けた、その音聞こえた…気がした。聞こえなかったはずだけどね、
——そう?
——たぶん、
——じゃ、なんで
——お前が呼んだ気がした。耳元で。…眼が覚めて、…で、
——いつ?
——外に出たら、廊下に、…お前、つかつか歩いてくるから。あれ?って。そうおもったら
——うそ…。
——ぼくのそば通り過ぎて、部屋に入ってった…なに?
ようやくに比呂は笑った。
——どうしたの?
其の時にわたしは今更に自分が許宇に応えるべき理由を欠片だに持っていないことに気付いた。
許宇の眼差しが其の時に微動だにせず、けれどもやさしい気配のままに私を見ていて、そして一瞬雪崩れたようにゆららいだ。
——來なよ。
比呂は云った。
——こっち、來て。
許宇に誘われるままにわたしは寝室のバスルームに入り、彼女に言われるまま衣服を脱ぐ。わたしのさらした素肌に比呂が表情を変えもしないのにかすかに驚き、軽く賛美し、そして失望した。
わたしは自分が美しいことは知っていた。多くの女が、わたしの素肌を見ればどんな眼差しをするのかさえすでに。一樣の家畜じみた媚びと羞恥のそれ。
わたしは聲もなく許宇を見る。
聞く。
——穢い…
そして浩然は息でだけ笑った。
——洗ったげるよ。
足元に膝間付いて彼女の流すシャワーの温水に身を曝した。
——どこでどうやったらそうなる?
比呂。
——腕なんか…なに、した?
時にその漏れた笑い聲。
——びしょびしょ。…誰にも見とがめられなかったのが奇蹟。
——波乎。
わたしが呼んだ彼女の名前に比呂は一瞬沈黙し
——なに?
——波乎は怖くないの?
——なにが?
わたしが須臾の沈黙を口に咬んだのが、波乎蘭をわらわせる。
かすかにだけ。
いつくしみ、なにも、ことごとくに赦す様に。
——比呂は俺が怖くないの?
——綺四麻沙が?
見上げたわたしの眼差しは、あるいは、許宇にとって媚びて乞う犬の子じみた色を曝していたのかも知れなかった。
——まさか?
——なんで?
——必要ない。
——なんで?…と、怖がらなくていいよ、…と。許宇はささやく。「安心して。ぼく、噛みつきゃないよ。…こわがらなくていい。大丈夫…」
わたしは軈て目を閉じて、その聲を耳に聞いていた。
私は彼女に言われるままにその午前、彼女の洗った服が乾く迄その寝台の中にひとりで眠ったのだった。
〇香香美あて圓位文書2
(并餼から阿輸迦王に。メール、2019年9月04日)
友人に。
非常に謎めいた風景を、あなたは私に見せたのでした。
思うに、それはあなたが仕掛けた謎ではなかった。
おそらくは、自然他人にはそうなるしかない類のものなのでしょう。
確信するのは、あなたが何も、何かを隱したつもりなど何もないのだろうという事実だけです。
故、敢えて何かを問う愚をは犯さずに放置しておきましょう。
しばらくは。
とまれ雪のしたに花があるなら雪解けに色は眼に沁みる以外に術をもたない。
ところで、あなたにとっては実は本当は興味がないのかもしれないある事件について觸れて置きましょう。
久村敎授(…とあえてそう頑なに呼びます。私は。わたしにとって彼は敎授。だれよりも知的な人物ですから)の調査しておいでの眉村一家についての件ですが、例の眞夜羽、彼、最近奇行を顯わし始めたとのこと。
即ち、その母上深雪樣曰く(…これは彼女が昨日午後寺に相談に參られて愚僧の耳に入れてくださったことなのですが)毎夜ぬけだして彷徨い步く、と。
聞くに久村氏の帰京されて後の明け方に起り始めたことのようですが、朝起きられてご子息を起こしに行ったところ(…その日は彼の少年の小学校の二学期の始まりの日でしたからね)寝室にいない、と。
和哉氏と俱なって家の周囲を捜し歩いてもどうにもその痕跡だにもなし、と。
案じた和哉氏、近所の加賀毅氏という方(名の訓は多計琉)にお声がけしてさらにその奥様にもお助けいただき探しに捜しこれはどうももっと下に降りてるか木の影にでも隱れておるかではないかと。
かの住宅、低い小山の中腹にありますので。
小山とはいえ山は山、山が山なら当然傾斜し自然崖成すところもありということで、男ふたりその木の間に入って捜し女ふたり(その折りには加賀のおばば様も連れて、ということでしたでしょうか)下の海岸沿いにまで出てしばし、步き探していたところに、その島の岸邊、海鳥の既に飛び交う下に胡坐をかいて、こう、ぼうっと、何をするともなく沙の上を見ている眞夜羽くんがおった、ということ。
お母さま、それは今まで心配心配でいても立ってもおられぬ次第でしたから駆け寄って、あんた何してるのと。
抱き上げようとすれば眞夜羽省みて自然に、邪氣も無く自分の惡さした自覚も何もなくて…あれ?お母さん、いたの?と云う。
深雪さん、いろいろ罵られたんじゃない?それでも眞夜羽なにを云うのやなにもわからんとばかり軈て曰く、蟹、いるよ。
蟹、ね?蟹、沙の上にいっぱいいるよ、と。
愚僧ここで深雪さんに問うて曰く、いたの?
深雪さん答えて曰く、…なにが?
蟹はいたの?
みてませんよ、…いたんじゃない?
そんなような次第で、女三人連れて帰って、山の捜索のおふたりは携帯で呼び戻してね、それはそれで事なきを得たと。
一日だけの奇矯な振る舞いかとも思ったもののそれが毎朝の日課になって仕舞った、と。つぎのは山上の無人の祠で鳥の観察、また今朝は人の家の影で犬と一緒に寐ておったこともあったとか。
深雪さん心配でいかがしたものかと。
愚僧なんの妙計思いつくでもなし、思い余ってお母様の顏色伺いながら近くの祇樹古藤記念園勤務の山羽香奈枝というかたのいらっしゃるのを今不意に思い出したに裝うてその名を出して、云うに一度、相談してみられる?
案の定深雪さん怯えた顏に不快な顏、曰く、精神病院の人じゃないんかな?
愚僧、でも、我々、知識もなにもなくてにああでもないこうでもない謂っているより、さすがにそこは専門家よ。聞いたら聞いたでなんでもないんじゃない?対処法だったら、そりゃ、経験がもの云いますよ。
でしょう?
深雪さんいぶかりけらく、あんなところに入れられたら、出てこれないでしょう。
愚僧、それは僻んだ眼よ。
深雪さん、惑いけらく、あんな、變なひとばあおられるところに行けと?
これ等、非常に差別的。よろしくはない。ただし惑う母の心の發するもの、故、同情こそ身にも心に染ちうことで、愚僧云うに一回相談したらいい…連絡先知ってる?連絡して、一回、家にきてもらえばいい。あそこは人道的な慈善施設で、そも、ご存じでしょう?奇蹟の花の咲く處よ。だから御佛の御眼のおそらく往き届いたところであって、それだからあそこにいかけれて心配ないでしょうけれども、それでもそこに入園されておられる方ら、ね、その方らの振る舞いがいま、敏感で繊細な眞夜羽くんになんか影響あたえても可哀想だから、そう云って家に行かせますよ。彼女に連絡して。
それでいい?
母上いまだ腑に落ちない儘に、じゃ、眉村に相談して…
愚僧、そうね。早い方がいい。時に、眉村さん、お元気?氣に病んでられるんじゃない?
母上、それはそうなんじゃけれども…
かくて、今さっき和哉さんから連絡いただいて、どうかお願いします、と。
故、古藤園に連絡して山羽さんにお願いしたらじゃ今晩いかがということで。折り返しに和哉氏、ええですよと。是非におねがいするということで。
是、久村さんにも連絡しようとおもってメール開いた矢先、南国の友人のメールの届いておったに気付いた次第。
また、なにかしら事が在ったら連絡をいれます。
ところで先に奇蹟の花云々という言葉、おそらく目に付かれたでしょうが、なにも断りなく素通りしたのは若干、話が長くなる故に。
是、久村氏には話して聞かせたのものですが、祇樹古藤記念園、地元の名士古藤孝文氏の好意によってもたらされた介護園なのですが、そこにインド・サーラの雙樹がございます。
インド・サーラの借り樹の日本の夏牡丹と違って、気候の影響にめったに咲かないはずのインドのサーラの雙樹、この島に緣でインドはウッタル・プラデーシュUttar Pradesh州に寄贈された思い出すに80年代の暮れつ方かつぎの始めつ方、いまだ苗木のようやくに地に根をおちつかせた頃、人のこどもの背にも満たないにいきなり若やぐ葉の間いっぱいの白い花を咲かせた是奇蹟の樹、恩寵の花ということで当時の地方紙にもとりあげらたくらい。
今に至りふと気付けば人の背などはるかに見下ろし、大樹の大空に伸びた枝の先に止まった眼の先には遙か古里なる天竺だに見晴るかさすと思う枝ぶり、それから一度としてたやすことなく年中に咲く白い花䕃、いまも地を這う虫の小さきにだに落とし倦まぬ始末。
いずれにせよついでの半日にでも軈て島に來られたおりには愚僧俱なりて友を案内しようものかと老いのひとり勝手の愉しみにまつ此のごろ、遠き友にも幸多かれかし
沙門圓位記
〇圓位あて淸雅文書3
(阿輸迦王から并餼に。メール、2019年9月05日)
思いの外、早くに日本へ歸れるかもしれません。所詮日本人にとって単なる帰省にすぎないもの、なにをぐずぐずしているのかといぶかられているでしょう。ところが私の今回の帰国には同行者が二人いて、そのベトナム人のビザ所得に時間がかかっているのです。ですが、久村氏に相談したところ、久村氏更にその友人に相談し、彼の息のかかった日本語学校の誘致というかたちでビザを取るとか取らないとか。
通常よりははやくビザを所得できそうであるとの報告、久村から受けました。
また、いつか連絡していたニュースの件…おぼえていらっしゃいますか?あれですが、そっちもおそらく予定早まって、早くて今週中に師の眼に触れるかもしれません。もっとも、是はすでに私の興味をうしないつつある件に過ぎないのですが。
ともかくに、その同行者の来日の本等の理由、あなたにも傳えておくべきとも想われます。
話は今年の初頭にさかのぼります。もはや正確に何月何日という記憶も無くしたその一月の終わり…ということは旧暦の大晦日ちかく、そちらにとっては新年騒ぎもわすれた頃、こちらの年末まっさかり、そんな頃でしたでしょうか。
あるベトナム人の友人にいつか紹介された親しく可愛らしい友人にお願い事をされたのがきっかけでした。
その名をレ・ヴァン・タオと謂いますが、彼女日本語堪能な日本語教師で、それまで私の暇つぶしに散々付き合ってくれた方だったのです。
タオは言いました。妹がいるのだ、と。軈てラン、…Lan、…即ち漢字表記すれば蘭、故にわたしに蘭とよばれることになる少女のことですが、その姒曰く失語症である、と。
言葉を失った切っ掛けについてタオはなにも云いませんでした。また私も聞きませんでした。話したくない事は離されないくてもいいことだと、わたしはそう思っているからです。
いずれにせよ蘭は今いる南の舊都サイゴンからダナン市に返って來る、タオは日中仕事で忙しい、故、預かってくれないか、と。齡十三歳で幼く、ひとりんいしておくのは不安である、ただ、詞が話せないだけで逢ってそれ以外には聡明ささえかんじさせるいい子ですから、と。
わたしはタオのはなす詞の周囲に、彼女の語られなかった身寄りのなさを匂い取ってしまったのでした…事実、そう思えるでしょう?故に心はもはや同情以外感じられませんでした。私はすぐさまに応えた、いいよ、と。いつでも連れておいで。
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