緒言:言葉、あるいは破壊する力



いつも、疑問だった。


なぜ、言葉に傷つくのか?


なぜ、言葉は傷つけるのか?



わたしたちは知ってる。


わたしたちが生きた長い長い時間の間に、

ただひたすら、わたしたちは言葉によってこそ、

傷つけあってきたのだった。



言葉によって、わたしたちは理解しあうはずなのに。…

言葉こそが、わたしたちの相互理解をはじめて可能にしたはずなのに。…

なぜ、言葉は、ときに、かならず、たいていは、なすすべもなく、いつも、痛いのか?



あるいは、夥しい数の、人の命をさえ奪いながら。



許されざるべき暴力性。無慈悲なまでの、その、痛さ。





言葉は、本来、平和と抱擁をもたらすものなのか?



あるいは、それがむしろ


種の生存、淘汰に勝ち抜き、生き残るための、

留保無き武器だったとしたら?



虎の牙、猫の爪、サソリの毒、蛇のしなやかな身体…


ならば、むしろ、言葉とはわたしたちにとって、

本来、殺戮と、暴力と、破壊のための武器なのだ。



わたしたちが、わたしたちみずから、お互いを殲滅しようともくろむための。


絶望的なまでに強靭な、破壊兵器。





言葉は、破壊と殺戮を志向する時にこそ、もっとも美しくなる。



アドルフ・ヒトラーの演説を、特攻隊の自己破壊の歌を、想い出してみればいい。


若くして自殺した詩人、その鋭利な知性の断片、


見いだされた絶望的な風景の中で、自分を殺して仕舞った人たちの声。



いずれにせよ、夥しい血に塗れたときに、はじめてその美しさのすべてを、

言葉は、曝す。



わたしたちは、言葉から身を守ることが出来るのだろうか?


このブログにまとめられる小説の言葉の群れは、


言葉の、その本質的な危険さと、抗い難い美しさを、直視しようとする。



*  *



…生存のための武器。


ところで、鳥たちは生き残るために、破壊をするではなく、むしろ飛び立ち、

その、自由な翼を羽撃かせたのだという事実も、わたしたちは忘れてはならない。




Seno-Lê Ma

2018.05.09. T.P. Đà Nẵng, Việt Nam.



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